わたしにもトモダチはいた?
2日前のブログで、トモダチがいないことを書きました。
しかし、3日経ってみて、
「わたしにもトモダチいた?」と思うような出来事がありました。
ちょうど2日前に彼女から別れの宣告を受けまして、とても傷心しています。
この状況では、わたしは例によって1人でいることに耐えることは出来ず、知り合いに連絡をたくさんしました。
SNSでのヘルプ要請までしました。
すると、驚くほどみんなから連絡が返ってきます。
「話聞くよ。」「まだ、終わったわけじゃないよ。」「失恋をしてすぐの時は、心を傷めるのも大切だよ。」
と励ましてくれさえします。
ありがとう。
と切実に思います。
つらいと感じるとき、誰かに話を聞いてほしいという心理がわかりました。
そんなわたしは、今日最後のお話をしてきます。
きっと、もう会うことはないので、しっかりお話をしてこようと思います。
すごした11ヶ月と少しに後悔をしないように。
今日のオモログでした。
カノジョと別れました
題名どおりです。
カノジョと別れました。
いま自分がどんな気持ちかわかりません。
寂しいのか、悲しいのか、まだ一緒にいたいのか、
ただ、心がグラグラします。
またひとりぼっちになるのか〜〜って。
わたしの中でカノジョという存在は、唯一無二のわたしを肯定してくれる人。
だったのかもしれません。
これから、どうしていきましょうかね。
やっぱりトモダチが少ない。
わたしは、やっぱりトモダチが少ない。
なんとなしにそう思ってしまいました。
「トモダチが少ないなー」とはっきり感じ始めたのは、確か小学生ごろだった気がします。
金曜日学校から帰って来てから、日曜日の夜寝る寸前までずーーーっとゲームをしている少年でした。
今思うと、あの頃からトモダチがいないからゲームという手段に逃げていたのかもしれません。
だってゲームは常に続きがあって、ソフトを変えればいくらでも遊ぶことができるから。
小さい頃のわたしのトモダチはゲームだった。
大学生になった今でも、ほぼ毎日トモダチが少ないなぁと感じています。
学校にいるときも、サークルにいるときも、家で1人でいるときも。
仲のいいとわたしが思っているトモダチ達が、わたし以外で数人で遊んでいるところを見たときには心がざわざわします。
「あ、呼ばれなかった」と。
考えすぎなのかもしれない、けど少しばかり寂しさを感じ、オモログに逃げてくる。
今までずーーーっと、トモダチが少ない。
それわたしに魅力がないから、面白くないから、わたしに価値を感じないから、と今も思います。
それでもなんとか変えたくて、日々、人と接すること、話を聞くことのスキルを上げるよう努力しています。
いや、もしかしたらわたしの中の「トモダチ」
の定義が人と違うのかもしれない。
わたしの「トモダチ」の定義は
いつも一緒にいる。気にかけている。何かあったときすぐ連絡が取れる。ふっかるである。
が今パッと思いつく限りです。
これはトモダチではなく、親友というのでしょか?
そうだとすると、わたしには「親友」が1人もいないのかもしれない。
「テイアン」するとこの重要さ。
久しぶりにブログを書いてます。
文字を書く仕事から離れることになりました。
そのことが決まった時から少し文章を書きたくなったみたいです。
ブログなら、責任は自分にあるし、誰にも迷惑かからないから、ブログってなんか素敵なのかもしれない。
また書こうと思ったきっかけはまさに今日。
ライティングすることが、苦手でできないことをやっと話すことができたんです。
そうしたら、もう既に同じに認識になっていていつわたしが言い出すか待っていたとのこと。
ここから言えるのは、「考えてることを素直に打ち明けるのは非常に大事」
ということ。
これって、とてもシンプルに見えて意外と難しい、難しかった。
言わない間にどんどん認識がズレていって、本気で修復しようとした時には、時すでに遅しみたいなことがよくあるから。
考えたことを素直にまとめて、話すのはとてつもなく重要なことなのです。
もう一点は、「テイアン」ということ。
話は初めに戻って、わたしは文書が書くことがとてつもなく苦手です。
最近やっと、言いたことをベースにかけるようになりかけました、ぐらいです。
今日、上司に話したのはライティングが向いてないこと。
これを伝えたけど、この先の話は全然出来ませんてませんでした。
そこで、もらったアドバイスは
「そろそろ相談で終わるのでなく、テイアンまでできるようになりなさい。」ということ。
つまり、
わたしの現状ではこれができません、けどこれならできるので、このやり方で価値を出させてください。
というように、相談した後にテイアンまでする事で相手に納得してもらう。
ことの重要性も学んだのです。
けど、わたしは思いました。
「いまわたしにできることってなんだっけ?」
テイアンできるものがない。
たしかにそうなのです。
けど、それでは面白くない。
何もできないまま。
だから、いまわたしが、わたしにできる「テイアン」とは
まだ見ぬできないことを、できるようになるために、自分で勝ち取りに行け。
ということです。
正直、なんて言ってるかわかりません。
環境的に、教えてもらうというよりは、わからないことを自分で見つけて、自分で解決する。
仕事も自分で取りに行く。スタイルです。
それをするために、今後はいろんな人がどんなことをしてるのか、そこに入り込める隙はあるのかを探り好機を見つけたら、迷わず飛び込む。ということをしてみようと思います。
さいごに、
思っていることを綴っていこうと思うので、わたしのブログ名は「オモログ」とでも命名しましょうか。
オモッていることをログで残す、「オモログ」いかがでしょうか。
「じぶんがなにかを決断する時のキメテ」
今日9月15日久しぶりになにかを決断したい、と思える日でした。
わたしがなにかを決断・決めたいと思う瞬間はやはり「ひと」なのだと実感しました。
今回決断したい・やってみたいと思うことは、2018春GVについて。
正直次の春はわたしには無理なことだと思っていたし、今も行ける余裕があるかというと不安な要素が多い。
その要素としては、お金のこと、モルツのこと。
お金は現状モルツでぜんぜん稼げていないし、今後も稼げる見込みは少ない。
仕事に必要なスキルがぜんぜん足りていなくて、モルツで働くことすらも今は危うい。
そんな不安定な自分の状態の中で、今思うことは「ただ春にGVに行きたい」。
理由は冒頭にも書いたが、あのリーダーについて行きたいと思うから。
なぜかと詳しく聞かれると、自分自身明確な答えが出てくるわけではないが、
「なんかいい」と思えたから。
去年、伊藤ゆおとのリーダーについて行きたい、と思ったのとはまた別の感情な気もする。
今回は、新しいリーダーと一緒にチームを作りたい。
この想いに尽きる。
そして、今自分の置かれていおる状況などすべて考えずに、ただ行きたい。
自分の意思を貫きたい。
こう思うだけで、全てに活力が見出せる気がする。
この気持ちを、「思う」だけで終わらせないように、今日は書き留めました。
おわり
氷が溶けてもおいしい【アイオレ】
アルバイトの面接を終えてふと、カフェに行きたくなりました。
今日は久しぶりに外は天気がよく、お散歩がてらカフェを探してみることに。
インターネットを使ってお店を探せば簡単に見つけることができるけれど、ここは三軒茶屋、歩いているだけでカフェはゴロゴロ見つかる。
せっかく行くならば、チェーン店よりも個人経営のお店に行きたい。
変なポリシーのようなものがあるのです。
歩くことおよそ1時間。
大好きな古着屋さんも見つつ歩いていたら、時間は過ぎていました。
やっと入りたいと思えるお店を見つけました。「Cafe-Mame-co」
なんか親近感のわくお店だな、というのが決め手だったかもしれません。
お店の雰囲気は、少し薄暗く木目調でシックな雰囲気です。
店員さんは2人でお店を回している。カウンターには大きなサイフォンがあり、一杯づつコーヒーを淹れていてくれるのかな?
いざ注文。
「Cafe-Mame-co」では、コーヒーの種類が多い。
ホットコーヒを飲もう、と思ったものの外の気温はおよそ30℃。
1時間ほど歩き回った私は冷たい飲み物を求めていました。
そこで注文は「アイオレ」、たぶんアイスオーレの略なんじゃないかと思います。
アイスオーレより略して【アイオレ】の方が少しかっこいい気がしなくもない。
注文した【アイオレ】がテーブルの上に届く。
何の変哲もない丸いグラスに【アイオレ】。
見た目雰囲気は、いたって普通。
これで780えん。。。。 ちょっと高いのかな?と思ったり思わなかったり。
そして、口に運んでみる。
「ん?あまり甘くない」私は自他共に認める”甘党”なので、すかさず砂糖を足す。
うん、そこそこおいしい。 これがわたしの正直な感想だ。
そもそもわたしが今日このカフェに来た理由はもう1つある。
それは本を読むこと。
カフェで本をよむ。ってなんとなく憧れがあるけれどなかなかできない。
今日は準備万端で、読む本も用意して、満を辞して「カフェで本を読む」を実行。
やってみると意外になんともない、「カフェで本を読んだ」だけだった。
そんなこんなで、時間はどれくらい過ぎただろうか。
およそ1時間しないくらい過ぎたと思う。
テーブルの上の【アイオレ】の中の氷はとうに溶けきってしまっていた。
グラスの中は水の層と【アイオレ】に二極化してしまっていた。
やってしまった。
つい【アイオレ】の存在を忘れ時間が過ぎていた。。。
仕方なくストローで混ぜてまた【アイオレ】を飲むことに。
その時わたしは【アイオレ】の本当の魅了に気づいてしまった。
わたしの今までの経験上、時間の経ってしまったカフェオレ・アイスオーレはおいしく感じることは難しい。
コーヒーとミルクの調和はなくなり、コーヒーの渋みが際立ってしまう。
舌の上に感じるザラザラとした感触である。
しかし【アイオレ】は違った。
いつも感じる、舌の上のザラザラが一切ない。
むしろ最初よりもおいしく感じられる気がした。
ミルクはより滑らかに感じられ、コーヒーとよりマッチしているようだ。
おいしい。 わたしはこの思いだけだった。
まさに、氷が溶けてもおいしい【アイオレ】、だった。
こんな発見をしたのは久しぶりであった。
これは誰かに伝えたくなる一杯であった。
なぜかウゴキダセナイとき
今の時期、テスト勉強と記事作成の2つにわたしは追われています。
テストはあと4個。記事はあと2本と少し。
テストも記事も期日まだ少しだけ時間があります。
そんな今、どちらも手がつけることができません。
「テスト勉強はもう少し時間があるから、まだ頑張らなくてもいいや。」
「記事作成は、もうあと2日ほどあるから、まだ焦らなくても大丈夫。」
といった感じで、なかなか手をつけることができていません。
1日時間がある今日は、特にそんな風に思って過ごしてしまいます。
危機感があるのか、ないのかわからない状況です…
もちろん、
早く勉強してテストに臨んだほうがいい。
早く記事作成を終えて、質を上げたほうがいいのはよくわかっています。
しかしなぜか動き出せない。
こんなことを感じるわたしは、「まだまだこども。」「社会をわかっていない。」「甘ったれている。」のでしょうか?
わかっているのに、動き出せない自分がとてつもなく嫌になることが多くあります。
そんな気分なので、
外の空気を吸いに、買い物に出かけます。
帰ったら、今日のタスクを終わらせてゆっくり眠ることにします。