やっぱりトモダチが少ない。

わたしは、やっぱりトモダチが少ない。

 

なんとなしにそう思ってしまいました。

 

「トモダチが少ないなー」とはっきり感じ始めたのは、確か小学生ごろだった気がします。

 

金曜日学校から帰って来てから、日曜日の夜寝る寸前までずーーーっとゲームをしている少年でした。

 

今思うと、あの頃からトモダチがいないからゲームという手段に逃げていたのかもしれません。

 

だってゲームは常に続きがあって、ソフトを変えればいくらでも遊ぶことができるから。

 

小さい頃のわたしのトモダチはゲームだった。

 

 

大学生になった今でも、ほぼ毎日トモダチが少ないなぁと感じています。

 

学校にいるときも、サークルにいるときも、家で1人でいるときも。

 

仲のいいとわたしが思っているトモダチ達が、わたし以外で数人で遊んでいるところを見たときには心がざわざわします。

 

 

「あ、呼ばれなかった」と。

 

 

考えすぎなのかもしれない、けど少しばかり寂しさを感じ、オモログに逃げてくる。

 

 

今までずーーーっと、トモダチが少ない。

それわたしに魅力がないから、面白くないから、わたしに価値を感じないから、と今も思います。

 

 

それでもなんとか変えたくて、日々、人と接すること、話を聞くことのスキルを上げるよう努力しています。

 

 

いや、もしかしたらわたしの中の「トモダチ」

の定義が人と違うのかもしれない。

 

わたしの「トモダチ」の定義は

いつも一緒にいる。気にかけている。何かあったときすぐ連絡が取れる。ふっかるである。

 

が今パッと思いつく限りです。

 

これはトモダチではなく、親友というのでしょか?

 

そうだとすると、わたしには「親友」が1人もいないのかもしれない。